大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鳥取地方裁判所 昭和41年(ワ)74号 判決 1973年3月15日

原告

角田実男

被告

野島鉄之助

被告

多田勇

右両名訴訟代理人

山崎博

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

「被告らは原告に対し、それぞれ金一〇〇万円及びこれに対する昭和四一年四月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言。

(被告ら)

主文同旨の判決。

第二  当事者の主張及び答弁

(原告主張の請求原因)

一  原告は、ハナ子(大正六年九月 一六日生)と昭和二二年一一月一一日婚姻届出をし、爾来夫婦として生活を共にしてきたものであり、被告野島は野島病院の経営者(医師)であり、被告多田は同病院に勤務する医師(外科部長)である。

二  右ハナ子は、昭和四〇年二月二二日腹痛を訴え、訴外三好医師の診断を受けたところ、盲腸炎の疑いがあるとのことで、同医師の指示により同月二三日野島病院へ連れて行き、被告多田に診断を依頼した。その結果同医師は盲腸炎の初期と診断し、早期治療が必要である旨説示したので、原告とハナ子は相談のうえ切開手術を受けることを決し、同日午後二時手術に着手し、同五時右手術を終つた。その際被告多田は原告に対し、切開したら盲腸でなく腸癒着であつたため三時間もかかつた、手術の結果は良好である旨述べた。

その後、同月二七日午後五時頃、ハナ子の付添人訴外角田重子からの連絡で原告が野島病院にかけつけハナ子の腹を見ると大きく腫脹しているのに驚き、直ちに被告多田に右事情を伝え診察を乞うたが、同被告は、一度帰つてすぐ来るからと応急措置も講ぜず、同日午後一一時頃来院し、ハナ子の腹部を見るや否や、原告を室外へ連れ出し「もう時間の問題だ、今夜一二時までが難しい、駄目だ。」と言つたが、原告の願いにより直ちに手術にとりかかり約四時間かかつて腹部切開手術をした。

しかし、その後の経過は不良で、さらに同年三月二六日腰部切開手術をしたがその効なく、ハナ子は同年四年一九日午後四時二五分死亡した。

三  妻ハナ子の死亡は、被告多田の業務上の過失によるものである。すなわち、

1 被告多田は、前記二月二三日

の手術後、併発する可能性のある腹膜炎につき、厳重な注意を払う義務があるのにこれを怠り、何等の予防措置をしなかつた。

2 さらに、同月二七日午後五時一五分頃、原告が診察を求めたときまでハナ子が腹膜炎により危険な状態にあることに気付かず、何等の処置をしないまま手遅れの状態に立至らせた。

右の二点は、医師として業務上重大な過失がある、といわなければならない(なお、事情としてではあるが、被告多田は、右二月二三日の第一回手術後同月二七日の第二回手術までの間、ハナ子の保護者である原告に対し、医師法二三条に定める注意及び指示をしなかつた。また、同被告が亡ハナ子の治療に使用した静脈注射器、輸血器、酸素吸入器等は、いずれも一部破損していたためその効果はなかつた)。

四  亡ハナ子は生来健康であり、原告の営業につき帳簿の記帳、会計事務等を担当し、原告の不在中は原告に代つて顧客と応対するなど、原告を扶けていたものである。

原告は、妻ハナ子の死亡により甚だしい悲痛を感じ、精神上多大の苦痛を蒙つた。原告の蒙つた右精神上の苦痛を慰藉するには金一〇〇万円をもつて相当とする。

五  よつて、被告多田に対しては民法七〇九条により、被告野島に対しては右多田医師の使用者として(民法七一五条)、それぞれ原告の蒙つた右損害金一〇〇万円及びこれに対する昭和四一年四月二五日(本件訴状送達の翌日)以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告らの答弁)

一  原告主張の請求原因第一項記載の事実のうち、ハナ子が原告の妻であつたこと、被告野島が野島病院の経営者(医師)であり、被告多田が同病院に勤務する医師(外科部長)であることは認める。その余の事実は不知。

二  同第二項記載の事実のうち、「被告多田が、亡ハナ子に対し、昭和四〇年二月二三日及び同月二七日の二回にわたり腹部切開手術を、同年三月二六日腰部切開手術を、それぞれしたこと」、「右ハナ子が同年四月一九日死亡したこと」、はいずれも認める。その余の事実は争う。

三  同第三項記載の事実は否認する。ただし、医師法二三条に一医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない」旨の規定があることは認める。

四  同第四項記載の事実のうち、原告が妻ハナ子の死亡により大なる苦痛を蒙つた、との点は争わない。その余の事実は不知。

五  同第五項記載の事実は否認する。ただし、被告野島が被告多田の使用者であることは認める。

六  ハナ子の死亡について被告多田に過失責任はない。その経過は次のとおりである。

1 被告多田は、京都大学医学部を卒業し、昭和八年六月一二日医師の免許を受け、同大学外科副手、鳥取市立病院外科医員、高知県須崎町農協病院外科部長、倉吉市厚生病院外科部長、同病院副院長を歴任して三十数年間外科専門医として外科の治療に従事し今日に至つている。

2 同被告は昭和四〇年二月二三日原告の妻ハナ子を初診したが、その時の同人の訴えによれば、昭和三九年中に二回腹痛発作があり、さらに昭和四〇年二月一三日以来右下腹部痛があつて、午後より夜間には悪寒を伴い、発熱があつて、歩行時に腹痛を覚える病状が続き、同月二二日倉吉市の三好医師の診療を受けて盲腸炎の疑いがあると診断され、翌二三日野島医院に来院したものである。

3 同被告は右ハナ子を診察して、亜急性虫垂炎兼盲腸周囲膿瘍と診断し、手術を行なつたが、開腹して、虫垂炎ではなく廻腸末端炎であることが判明し、盲腸の周囲には膿汁貯溜し膿苔が付着し、限局性腹膜炎の症状が見られた。

なお廻腸末端炎は虫垂炎と同様の症状があり、手術前その区別を明確にすることは困難である。

原告の妻は十数年前婦人科の手術を受け、正中線下部に瘢痕があり、古い腸管相互及び腹壁との癒着があつたので、廻腸と横行結腸との吻合術を行ない、盲腸部並びに下腹部に排膿管を挿入して手術を終つた。

4 同被告は手術後原告に対し、病状、手術の部位及び結果、療養の方法、その見通し、その他必要な事項につき図解して説明し、原告からも関連の質問があつてそれに答え、その指導に欠けるところはなかつた。勿論その手術は医師として最善を尽したものであり、手術後毎日二回以上診察洗滌を行ない、また患者又は保護者から診察を乞われて応じなかつたこともない。

5 二月二七日再手術を行なつたが、それは前記の限局性腹膜炎が漸次拡がる傾向があり、腸の通りが悪いため、人工的に腸に排泄口を作つたものである。

その後三月二六日に腰部切開手術を行なつて腹壁に膿の排泄口を作つたが、四月一九日午後死亡するに至つた。その間低蛋白白血症、流感、急性胃拡張等を併発したことが、手術後の状態を悪化させることとなり、死亡の原因は急性化膿性腹膜炎兼腸瘻と汎発性腸管癒着症兼低蛋白血症である。

6 右の手術及び治療に使用した医療器具は総て整備されていたし、夜間あるいは被告多田が不在となつた時も必要な診察を怠つたことはなく、不在の時は必ず他の医師が代診をすることとなつている。

7 以上のとおり被告多田は通常の外科医としての専門的知識、技術と臨床的経験並びに医師としての良心に基づいて治療を行ない、野島病院の施設、設備、器具等においても、通常の病院のそれに比して不備な点はなく、右患者に対する医療上の過失は全然なく、したがつて原告の主張は理由がない。

第三  証拠<略>

理由

一亡ハナ子が原告の妻であつたこと、被告野島が野島病院の経営者(医師)であり、被告多田が同病院に勤務する医師(外科部長)であること、被告多田が右ハナ子に対して昭和四〇年二月二三日、同月二七日の二回に亘つて腹部切開手術をし、さらに同年三月二六日腹部切開手術をしたこと、右ハナ子が同年四月一九日死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。

二そこで被告多田に原告主張の如き過失(請求原因第三項記載)があつたか否かを検討する。

1  <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 被告多田は、昭和四〇年二月二三日ハナ子の症状を、亜急性虫垂炎盲腸周囲膿瘍と診断して開腹手術をしたところ、虫垂は存在せず、回腸末端炎兼限局性腹膜炎であり、腹水の貯留、盲腸部に濃厚な膿汁が存在し、強い炎症状態がみられ、盲腸より口側約四〇センチメートルにわたり水腫様の腫脹があり、かつ、全体的に大腸、小腸に腸管の癒着性があつた(ハナ子は、昭和二三年頃子宮後屈で入院手術をした既往症があり、このような開腹手術を一度すると大なり小なり癒着症状を惹起する)ので、回腸、横行結腸吻合術をし、回盲部に排膿管を設ける処置をなしたこと、

(二)  右のとおり膿汁の排出を図るため、排膿管を設置し、さらに膿の発生を防止するため、クロマイ、ペニシリン等を注射したが、低蛋白血症や体力の衰弱、抵抗力の欠乏等のため、膿の増長防止及び排出が完全には実現されず、追うるに麻痺性によると思われる腸閉塞症が惹起し、徐々に腹部の膨満現象があらわれたので、その経過を診ていた被告多田は、同月二五日頃から高圧浣腸、ガス抜き等をするとともに、必要な輸液、注射等の処置を講じたが改善されず、同月二七日には、苦痛を訴えるとともに腹部の膨満現象が異常となつたので、同日午後一一時頃から再び腹部切開手術をし、前回なした回腸、横行結腸吻合部より口側腸管の腸瘻造設及び排膿管設置等の処置をなしたこと、

(三)  なお、同年三月二六日三回目の手術をしたが、これは同月二三日頃から回盲部より膿汁とともに腸内容の流出がみられたので、腰部切開手術をして、腹腔内及び腹壁に貯留した膿汁を排出する処置をしたものであること、

(四)  右三回の手術は、ハナ子の症状に対して採つた処置としては適当な時期及び方法でなされたものであり、第一回(同年二月二三日)の手術後、被告多田は毎日少くとも一・二回は回診し、切開部分の洗浄、クロマイ等化膿止めの注射、ガス抜き、浣腸等をし、手術後の症状の悪化(前記のとおり右第一回の開腹手術前、既に腹膜炎の症状が存在していた)の防止について、十分注意していたこと

(五)  ハナ子の死因は、腹膜炎の長期間の持続、腸瘻から腸内容の流出等による全身衰弱と認められること、

原告本人尋問の結果(第一回)中、右認定に反する部分は前掲証拠に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  右認定事実からすると、ハナ子に対する被告多田のとつた処置には、原告主張の如き過失はこれを認め得ず、むしろ妥当なものであつたというの外はない(なお、原告は、事情として、「被告多田は、二月二三日の第一回手術後同月二七日の第二回手術までの間、ハナ子の保護者である原告に対し、医師法二三条に定める注意及び指示をしなかつた」旨述べるが、<証拠>に徴するも、同被告は、第一回手術後原告に対し図を書いて手術の部位・症状・見込み等について説明し、療養面についても、自らあるいは看護婦を通じて必要な事項を指示したことが認められ、また、「被告多田がハナ子の治療に使用した静脈注射器、輪血器、酸素吸入器等は、いずれも一部破損していたためその効果はなかつた」旨述べるが、仮に一時的にそのような破損状態があつたとしても、前記認定のハナ子の症状について、影響があるほどのものでなかつたことは、原告本人尋問の結果〔第一回〕からも首肯されるところである)。

三そうすると、被告らに対する原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。

よつて原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(矢代利則 土井仁臣 中村紘毅)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例